前納様、thiga 様、皆様、こんにちは。ご返信を有難うございます。なるほど!さすが「103系掲示板」と読まさせて頂きました。当時中電みたく清掃をする快速がある存在も知りませんでしたし、しかも「6号車にクモハ103」なんてとても貴重なお話を伺えて感謝致します。今のように編成ではなくユニット毎での検査の時代では、年一回発行の電車編成表では追い切れず、不具合による差し替え等であれば猶更分かりませんですね。3+4+3も二週間もせず見られなくなりましたので、私は「7両に不具合があり、豊田区へ貸し出す予定でバラシていたMC148とMC150の編成とで差し替えた」なんて妄想をして楽しむ事と致します。これからも色々と勉強させて頂きます。有難うございました。 投稿日 2019年10月25日(金) 15時10分 投稿者 加藤 [254.net220148078.t-com.ne.jp]
103系さん、みなさん、こんばんわ。昭和56/1981年に行われた101系冷房車の豊田電車区から中原電車区への移動を調べたら以下のようになりました。8月25日:Mc101-209・M100-262/M101-200・Mc100-200/T101-135/T101-1368月27日:Tc100-808月28日:Mc101-207・M100-261/T101-3009月30日:Mc101-200・M100-254/M101-254・Mc100-167/T101-131/T101-13210月8日:Mc101-199・M100-253/Tc100-57/T101-301昭和56/1981年9月まで101系の冷房車が豊田電車区にいた事は確かですが、いつまで使われていたのか気になります。 投稿日 2019年10月22日(火) 17時00分 投稿者 サハ103−770 [om126132007246.20.openmobile.ne.jp(修)]
103系さん、みなさん、こんばんわ。昭和56/1981年8月には中央線快速の101系冷房車は南武線に転属していたので、その記事の101系冷房車が青梅線を走ったというのはありえないはずです。 投稿日 2019年10月20日(日) 22時54分 投稿者 サハ103−770 [om126132007115.20.openmobile.ne.jp]
こんばんわ。自分も3+4+3編成を1度だけ遠くからチラリとみて、あれ!?と思ったことあります。5,6号車だめMcM'の編成も、一度7号車に乗ったことがあり、連結側の貫通扉の取手を針金でぐるぐる巻きに固定していたのを思い出しました。車両番号まで覚えてませんでしたが、側扉がステンレスだったことだけ覚えてます。 投稿日 2019年10月20日(日) 21時46分 投稿者 thiga [softbank126194141214.bbtec.net]
加藤さん、103系さん、みなさん、こんにちは。>青梅線昭和56/1981年から201系の量産車が投入され始めましたが、201系が青梅線・五日市線に乗り入れを始めたのは昭和57/1982年11月15日のダイヤ改正です。当時の三鷹電車区に配置されていた103系は80両(101系は配置無し)で、初期に投入する201系100両のうち80両が三鷹電車区に投入され(残りの20両は豊田電車区)、三鷹は早いうちに201系で統一されると見込まれたので、運用を豊田区に移管したのだと思います。31A(31T)がどのような運用だったのか詳細は存じ上げませんが、朝ラッシュ時、青梅まで回送で下り、折り返し10両で東京行になる三鷹の運用はありました。たぶん、この運用が31Aで、そのまま(分割併合が無いまま)、豊田に移管されたのでしょうね。最近聞いた話では、車掌がドアを締め切る後部3両の配電盤を操作していたらしいです。>3+4+3203系の第2〜8編成の70両が投入され、常磐線快速の常磐無線を持たない先頭車(クモハ103-1やクハ103-11など)が昭和59/1984年に転出した後は、先頭車を中間組み込むケースは3組だけになっていましたので、御覧になったのは、昭和59/1984年(もしくはそれ以前)だと思います。ただ、あいにく、この掲示板でも初出の話(情報)で、残念ながら、実車を見た方は居ないのではないかと思います。余談ですが、常磐線快速では、10両貫通編成の5・6号車だけMcM'になっていた編成を、昭和57/1982年夏に目撃しています。で、さらに余談になりますが、昭和57/1982年11月15日改正まで、中距離電車のように上野駅で一旦ドアを閉めて車内清掃を行なう常磐線快速電車が毎日1本だけありました。清掃を担当するのは3名で、当時は3+7という編成もあったので、作業員は8・7・1号車で列車の到着を待ち、8号車に乗り込んだ作業員は10号車までの3両を担当し、7・1号車に乗り込んだ作業員は、それぞれ4号車に向かって清掃して行き、4号車で清掃終了という方式で作業していたのですが、ある日、先に書いた「6号車にクモハ103」という編成に当たり、7号車から乗った作業員が6号車へ移動できず、困ってしまったそうです。(1号車から乗った作業員が6号車まで清掃せざるを得なかったと思われます。) 投稿日 2019年10月19日(土) 22時08分 投稿者 前納浩一 [i219-167-214-148.s42.a013.ap.plala.or.jp]