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[774] 歯車比の件  投稿者:前納浩一  投稿日:2017/12/03(日) 16:43 [i220-109-71-175.s42.a013.ap.plala.or.jp] 

このことについては、既に編集部に申し入れをしてあるのですが、扱いが不明なため、こちらにも書き込むことにしました。

101系の15:84=1:5.60に対し、103系が15:91=1:6.07なので「歯車比が大きくなった」というような記述がありましたが、これは「動輪径」が考慮されていません。動輪径が101系の860mmに対し、103系電動車は910mmありますから、車輪が1回転した時に進む距離や速度が少し大きくなります。それを加味しますと、

91÷15×(860÷910)=86÷15≒5.73

となり、5.73÷5.60≒1.024 ですので、101系と103系の歯車比の実質的な差は約2%ということになります。これは車輪の摩耗ですとか、架線電圧や乗客荷重の大小などの条件を合わせて考えると、実用上は差の無い数値になります。

ですので、歯車比は「僅かに大きい」という表現が妥当と考えています。



[773] TR212ほか  投稿者:前納浩一  投稿日:2017/11/29(水) 01:15 [203.138.5.178] 

三河安城さん、こんばんは。引き続き、気になる点を書いておきます。なお、頁数が限られるため、やむを得ず省略したと思われる点についての補足も含まれますので御承知おき下さい。(雑誌記事にする場合、誌面数に制約を伴うのがネットのサイトやブログとの大きな相違点だと思っています。)

46頁のTR212の件ですが、20頁にも同様の誤記があります。

24・25頁の1000・1200番代で若干補足させていただく点があります。
まず、クハの1000番代について「インバータ・蓄電池などを搭載」とあります。このインバータは、213系のように旅客サービス用の電源となるものではなく、ATCの制御装置の電源を得るためのインバータです。ちなみに、クハ103-269〜のATC車もATC搭載時にインバータを搭載しており、2位側床下最前部についていて、右側がフィルター様になっている箱がインバータになります。また、一部の205系は103系が付けていたATC装置を転用しており、転用したクハ205/204の1-3位側床下中ほどに同じインバータが付いていました。
それから蓄電池ですが、「1000番代」と断っていることから推測できるように、クハ103形1200番代には付いていません。1200番代は301系に合わせてM'車とM'c車に付けられていました。数少ない1000番代と1200番代との相違点です。
それから、1200番代の4・5本目は、蛍光灯を24本(中間車)に増加、室内の無塗装化の推進と扇風機部の天井金枠化などが行なわれています。(天井が化粧板になったため、曲げ加工ができないと思われる。)

72頁の真ん中の写真の説明文、冬季に上げるのは前位側のパンタグラフ。

今日は、この辺で。



[772] 御礼&お詫び&昨日の続きです  投稿者:三河安城  投稿日:2017/11/28(火) 22:33 [ai126248157044.9.tss.access-internet.ne.jp] 

前納管理人様、皆様、こんばんは。早速のレス&ご指摘・ご教示ありがとうございます。

クハ105−11(+クモハ105−521)の冷房改造については、調べてみましたところJR化後の88年3月でした。AU75で冷房改造された105系のうち、この2両のみJR化後に冷房改造されていました。(他はすべて国鉄時代の施工)また、クモハ103−149+モハ102−315の冷房改造は85年4月でした。この103系に置き換えられた72系のアコモ改造車が(86ページの説明文にもありますように)85年3月まで運用に入っていたという認識があったため、思い違いをしていました。

以上の2点は私自身の認識不足と資料等での確認不足による誤記でしたのでお詫びして訂正させていただきます。大変失礼いたしました。

さて、悔し紛れというわけではありませんが、昨日の続きで更に気がついた点(今回は補足等も含む)を書き込みします。

86・87ページの特別保全工事施工についてですが、特保マークが一部付いてない車両は関東で施工された車両に多くあったと記憶しています。また、特別保全工事施工車はカーテンが201系と同様のものに交換されていましたので、関西で施工された車両でも内装ではカーテンで識別できました。(過去に知り合った人から教えていただいたのですが、これは113系・165系などの他系列についても同様となっているようです。)

104ページの仙石線用アコモ改善工事の中で、列車番号表示機の列車種別表示装置への転用および大型化とありますが、クモハ103−94・128の2両については98ページでの説明でもありますように、ATS−P取り付けに伴う表示窓が埋められていたため、転用改造時にATS−Pを撤去して種別表示窓を設置しています。

昨日書き込みしました101ページの運行番号LED化の件ですが、126ページに写真が掲載されていますように、クハ103−1009・1010も該当します。

前納様の担当外の項目ですが、46ページのクハ103−173の写真説明で「台車はTR201(103〜はTR212)に変更した。」とありますが、クハ103で台車がTR201→TR212に変更されたのはクハ103−115〜・クハ103−617〜です。

また何かありましたら書き込みしますので宜しくお願いいたします。そして、この件につきましても何かご指摘等ありましたら当掲示板にて書き込みをお願いいたします。

以上、連日長々と失礼いたしました。



[771] クモハ103-149+モハ102-315について等  投稿者:前納浩一  投稿日:2017/11/28(火) 02:03 [203.138.5.178] 

三河安城さん、御指摘ありがとうございます。
番号の誤りなど、見切れなかった部分があるようです。

クハ105-11の改造時期については、何かの資料で確認したつもりでしたが、今一度、見直してみます。

なお、クモハ103-149+モハ102-315については、昭和59/1984年3月末に郡山工場に入場した後、一旦、非冷房のまま出場しています。同年8月に非冷房の同車を仙石線で撮影しております。

97頁の右下の写真のモハ103-791について、その頁では「新製時はAU75E」としているのに対し、30頁では「AU75G」となっています。
ちなみに、32頁に参考文献として挙げられている書物(黒本)にも「AU75E」とあります。一方、参考文献以外の書物で、友の会の方が書いた書物には「AU75G」としているものもあります。また「AU75Bと互換性のあるAU75G」という表現もあるようです。
新製時につけていたクーラーの現物を見なければ確定的なことは言えませんが、それはもう不可能で、状況から推察するしかありません。
私は、そのモハ103-791等がAU75Bに載せ替えられていることから、新製時に載せていたクーラーはAU75Eだと思っているところです。(AU75Bと互換性のあるステンレスキセのクーラーはAU75Eです。AU75Gは相違点がやや多く、AU75Bと互換性があるとは考えにくいです。)
なお、改造記事の参考文献は、スペースの都合で省略しています。御了承下さい。

クハ103-447・452については、当時の鉄道ファンに記事があったような記憶がありますが、確認してみます。

AU75AからAU75Bへの切り替え時期ですが、大阪環状線に投入されたグループ(クハ103-241〜)はAU75Bになっているように思えるのですが、確認してみます。

他にもありますが、返答等を含め、少しずつ書き込みします。



[770] 鉄道ピクトリアル2018・1月号「特集 103系電車」  投稿者:三河安城  投稿日:2017/11/28(火) 01:24 [em119-72-197-164.pool.e-mobile.ne.jp] 

前納管理人様・皆様、こんばんは。いつもお世話になっております。

さて、私も土曜日の夜に同誌を購入しまして、拝読させていただきました。内容は大変充実しており、私自身も十分楽しめました。そして、前納管理人様が[768]にて「〜至らぬ点は見つかっていますが〜」と仰っていますので、既に把握されているものもあるかと思いますが、早速ながらとりあえず当方が気がついた点をいくつか書き込みします。(念のため申し上げておきますが、粗探し・揚げ足取り・個人攻撃といった悪意は全くありませんので、その点につきましては何卒ご承知おき願います。)

86ページのクハ105−11の写真説明文で、「冷房改造はJR化後に施工」とありますが、同車を含めて105系のAU75での冷房改造車は全車国鉄時代に施工されています。

87ページの大船工場での特別保全工事施工車の車内の座席端への袖仕切設置車について、車両番号が「モハ103−174・249、モハ102−174・329」とありますが、モハ103−136・174+モハ102−249・329です。(ちなみに、モハ103−249とモハ102−174は関西地区配置車です。もちろんこの2両はユニットを組んではいません。)モハ103−136+モハ102−249は何度も見かけた上に数回乗車しましたので覚えています。また、芝生様のサイト内にも画像が載っていますので、併せて紹介しておきます。

ht tp://kokuden.net/mc103/sub,htm/sub103-MM.htm/sub103M101-150/sub103-M136/sub103-M136.htm

94ページの仙石線への国鉄時代の転用整備について、「クモハ103−144+モハ102−308は冷房改造を併施」とありますが、クモハ103−149+モハ102−315も転用整備と同時に冷房改造が実施されています。

97ページのクハ103−563の写真説明文で撮影日が1998年12月となっていますが、同車は1992年4月に廃車となっています。(冷房改造直後の1988年の撮影でしょうか?)

99ページのスカート取り付けですが、「(クハ103−447・452は)京浜東北線時代に試験的に取り付けたが、試験編成がスカートをつけたまま京葉線に転属後〜(以下略)」とありますが、これは本当なのでしょうか?私は、京浜東北線でスカートを取り付けた103系を実際に見たことはありませんし、鉄道雑誌等で写真や記事も見たこともありません。

この(ウラ72→)ケヨ307編成(クハ103−447〜クハ103−452)については3年半ほど前に当掲示板の[328]でも書き込みしましたように、朝ラッシュ時の京葉線増発用として96年2月に浦和電車区→京葉電車区へ転属となっていますが、過去の「JR電車編成表」によりますと、96年3月28日にスカートが取り付けられているとのことです。(私は、96年2月に京浜東北線を利用した際に、元ウラ46編成‥クハ103−365〜クハ103−366の編成番号が「(ウラ)72」に変更されていたのを確認しており、この時点で(元のウラ)72編成が転出したのを予測していましたが、実際に(元ウラ72→)ケヨ307編成を見かけたのはそれから約3ヶ月後の96年5月だったので、既に試作型のスカートは取り付けられており、実際のところは鉄道雑誌や資料等の文献に頼るしかありません。)

101ページの運行番号LED化ですが、松戸電車区配置の103の他に、三鷹電車区配置の103系1200番台・301系の先頭車にも98年9月〜10月にかけて改造されています。(103ページに掲載のクモハ102−1203の写真でも確認できます。)

111ページのサハ103−777・778・780の台車換装についてですが、施工されたのは1994年ではなく、1年前の1993年です。(片町線103系の編成変更なども同時に実施)また、207系はこの時にはお書きになられましたように、21両が淀川電車区に投入されましたが、他に宮原電車区にも16両が投入され、同数の103系が広島運転所と明石電車区に半数ずつ転出しています。(ただし、差し替えという形で明石電車区から8両が広島運転所へ転出)

同ページの戸袋窓閉鎖ですが、「当初は外板の閉鎖のみ」とありますが、室内側はガラス窓を化粧板に交換して、その上に広告枠を設置した状態となっていました。

その他、前納様の担当外の項目ですが、52ページのサハ103−316の写真の撮影日が1989年4月となっています。しかし、写真では非冷房となっていますが、サハ103−316はこの時点で既に冷房改造工事が施工されており、隣の車両の所属標記が「北マト」となっていますので、この写真は間違いなく国鉄時代の撮影です。写真のサハ103−316の床下機器や台車は黒色に塗装し直したように見えますので、明石電車区から松戸電車区へ転属直後の1984年の撮影ではないかと思われます。

以上、とりあえず気がついた点について書き込みしましたが、また何かありましたら書き込みしますので宜しくお願いいたします。また、この件につきまして何かありましたら遠慮なく当掲示板に書き込みしていただくか、当方宛にメールにてお願いいたします。当方も忙しいので返信が遅れる可能性もありますが、出来るだけ早く対応したいと思っておりますので、その点に付きましても宜しくお願いいたします。

以上、長文・駄文失礼しました。


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